私の生まれ育った町・引田
与治山と引田の海に残る
二つの伝承
私が子どものころから聞いてきた、 与治山に残る清少納言の伝承と、 引田の海に浮かぶ女郎島に伝わる「おせん」の物語。 史実とは少し違う、故郷の人々が語り継いできた 「土地の記憶」をたどってみたいと思います。
子どものころから聞いてきた話
引田で生まれ育った私にとって、 与治山とその前に広がる海は、 単なる山や海ではありません。
子どものころから、この地域には昔から伝わる いくつかの物語があると聞かされてきました。
その中でも特に記憶に残っているのが、 与治山にまつわる清少納言の伝承と、 女郎島に残る「おせん」の伝承です。
ここで紹介する話は、史実として確認された出来事を 断定するものではありません。 引田周辺で昔から語り継がれてきた 「伝承」として紹介しています。
与治山と清少納言の伝承
引田の西側にある山の一つが 与治山(よじやま)です。
この与治山には、 平安時代の『枕草子』で知られる 清少納言にまつわる伝承が残っています。
伝承では、都から来た女性がこの地の海岸へ流れ着き、 その後亡くなったため、 人々が与治山に葬ったとされています。
そして、その女性が清少納言であったという話が、 長い年月の中でこの地域に語り継がれてきました。
私自身も、この話を大人になって初めて知ったわけではありません。 子どものころから、 「与治山には清少納言の伝説がある」 という話を身近なものとして聞いて育ちました。
現在も引田へ抜ける与治山の峠道
与治山は、伝承の中だけに存在する山ではありません。
現在は山の中を県道が通っており、 白鳥方面から山を越えて引田の表側へ抜ける 峠ルートになっています。
山の中を走り、峠を越えて引田側へ下っていく道です。 私自身、この道が好きで、 今でもよくドライブコースとして走っています。
昔から聞いてきた伝承の残る山を、 今は自分の車で走っています。 子どものころに聞いた物語と、 現在の自分の日常が同じ場所でつながっているのも、 故郷ならではの面白さだと思います。
与治山の話は山だけでは終わりません。
その前には、引田の海が広がっています。
引田の海に浮かぶ女郎島
もう一つ、私が子どものころから聞いてきたのが、 女郎島(じょろじま)に残る伝承です。
引田の海にあるこの小さな島には、 「おせん」という女性と若い僧の悲しい物語 が伝えられています。
伝承では、二人は人目を避けて島で会っていました。 ところが、ある日、待っていたおせんのもとへ 僧が現れませんでした。
やがて潮が満ち、 陸へ戻れなくなったおせんは、 海へ身を投じたと伝えられています。
これも史実としてすべてを確認できる話ではありません。 しかし、女郎島の名とともに、 引田の海で長く語り継がれてきた物語です。
史実とは別に残る「土地の記憶」
歴史を調べていると、 文献によって確認できる出来事と、 地域の人々が語り継いできた伝承が出てきます。
清少納言が本当にこの地へ流れ着いたのか。 女郎島のおせんの物語が実際に起きた出来事なのか。 それを今となって確かめることは簡単ではありません。
しかし私にとっては、 「本当にあったのか」ということだけが 大切なのではないように思います。
私自身が子どものころから聞いてきたように、 何世代もの人々がこの山や海を見ながら 同じ物語を語り継いできたこと。
それ自体が、 引田という土地に残された一つの歴史 なのではないでしょうか。
そして今も、与治山を走る
子どものころから聞いてきた与治山の物語。 その山には今、県道が通っています。
白鳥方面から峠を越え、 引田へ向かって山道を走る。
今でも私は、この与治山の峠道を ときどき愛車で走っています。